人生のヒントを得るため、哲学を研究してみてください。
私たちはなぜ、ここに存在しているのか。人生の目的は何か。人生に充足感や意味を与えるものは何か。人を愛する動機とは何か。なぜ人を大切にする必要があるのか…。哲学がいかに良い問題提起をしているのか、理解できるのではないでしょうか。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスをはじめ多くの哲学者が、人類全体に通じる人生の答え、確固たる知恵と真理を求めてきました。
ピーター・クレフト博士は、人生に対する哲学者たちの探求はあなたのためではなく、あなたと一緒に考える貴重な機会だと語っています。
「哲学はあなたにどのような益をもたらすだろうか。それは椰子の実のようなもの。卵のようなものだ。椰子の実も卵も、割って中身を取り出せる。割れないと、中味は時間の経過とともに腐ってしまう。哲学は人間の五感のようなものだ。哲学はすべての感覚を駆使して、自分という暗い小さな監獄から広い世界へと、あなたを導いてくれる。」※1
ソクラテス、アクィナス、デカルト、ヒューム、アリストテレス、マキャヴェッリ、ニーチェ、プラトン、サルトル、カント、キルケゴール…などの偉大な哲学者たちは、新たな視点で人生について考えるように、私たちに疑問を投げかけます。
クレフト博士はこうも語っています。「哲学で満足できず、不幸になっても、それは仕方がない。ハクスレーの『勇敢な新世界』やプラトンの『洞窟の比喩』、C.S.ルイスの『豚小屋と泥のパイ』に不満を抱ても、それはそれで進歩なのだ。実際にそれについて考える必要があったからだ。」※2
人生の質問に解答が与えなくても、哲学を学ぶ意義は確かにあります。哲学者たちと一緒に考える過程で、自分に何が足りないのかを、私たちは考えるものだからです。
哲学者はしばしば、人生の意味を見つけるのに苦労します。充実した人生を送るための秘訣とは、何なのでしょうか。フリードリヒ・ニーチェやジャン・ポール・サルトルは、人生そのものに価値を見出そうとしました。その結果、彼らはすべてを悲観的に見るようになりました。
ニーチェもサルトルも無神論者でした。彼らは神の存在を否定していたので、人生は計画性のない、成り行きまかせのものだと考えました。モノの実態は「ただ存在している」に過ぎないのです。
私たち人間も本質的に、何の目的ももたずに存在しています。人生は理不尽で、無意味なものに過ぎません。だれもが絶望こそが人生の論理的結末であることに気がつくだろうと、ニーチェは語っています。
彼らの論理は星の数ほど多くあります。しかし生きる上で助けとなる答えには出会いません。それならば、ニーチェやサルトルを研究する意義はどこにあるのでしょうか。
それでも哲学を研究する意義は大いにあるのです。クラフト博士はこう語ります。
「ウィリアム・バレットは、彼が執筆した哲学の入門書『非理性的な人』(Irrational Man)の中で、虚無主義、悲観主義の代表格と言われるジャン・ポール・サルトルをこう弁護している。『絶望の中でも、自分の存在に直面できることは、全く直面しないよりも良い。』 絶望も、希望に歩む道での力強い瞬間となり得る。」
「哲学を学ぶことで、最も偉大な存在への渇望が生じる。その最高に偉大な存在は、多くの名称を保有し、知恵、愛、真実、善、美のような性質を持っている。実は、これらはすべてが神の正確で完全な性質なのだ。哲学者が神の性質を知らなくても、神の名前を出さなくても、真の哲学とは神を探究することでもあるのだ。実際には、哲学者たちの多くが無神論者なのだが…。」
「アウグスティヌスはその回心のかなり前に、キケロの哲学書『ホルテンシウス』(散逸して現存していない)を読んで、哲学者になった。彼が神を個人的に知るずっと前のことである。哲学者として、まず永遠の知恵と恋に落ちた。これが回心の原点だと、アウグスティヌスは自伝『告白』の中で説明する。彼が愛した知恵の完全な姿は、神の中で見出されるのだ。」※3
哲学者は人生について、鋭い疑問を投げかけます。しかしその答えは、神にあります。この世界は神によって創造されたからです。私たちを創造した神が、哲学者が考え出したすべて答えを越えて、知恵や真実、洞察力を与えるのです。
私たちは「人の知性だけで、人生のあらゆる問題に解答を見出せる」と言いたい衝動があります。しかし、実際はそうではありません。
例えば、人体について考えてみてください。今、肉体が持つものだけでは、生きていけません。生きるためには、酸素や栄養、水など、身体の外部から体内に摂りこむ必要があります。生命維持に必要なものの中には、人が体内で作り出せないものが多くあります。
人体は酸素を吸い込む必要があります。多様な植物、動物、家畜、種類豊富な魚貝類を食べる必要があります。また、生きるためには水が必要不可欠です。これらはすべてを、私たちが居住するこの惑星、地球に、創造主が与えたのです。同じように人生を理解するために、私個人を超越した視点で、考える必要があるのです。
創造主なる神が知恵を与え、生きる方法を教えてくれます。神が本当の愛を発見する知恵を教えます。また人生の目的を見つける方法も、神が豊かに与えてくれるのです。神は、私たちが神の存在を無視して人生を送ることを願ってはいません。
神との関係が必要かどうかは、私たちの選択です。神を見つけたとき、人生に関する真実が理解できるようになります。神の存在を認めると、神の愛を体験できるようになります。また神とコミュニケーションをとる中で、人生をどのように生きるべきか、その解答を発見するのです。
イエスは神の子です。そのイエスが明確にこう語ります。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」※4 「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」※5
またイエスはこうも語ります。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※6 世の光であるイエスは、私たちの人生の行く方向を照らします。イエスと人生を歩むと、人生の問題が理解しやすくなります。そして、不要な落とし穴を避けることもできます。
アウグスティヌスもアクィナスも、トールキン、C.S.ルイス、ドストエフスキーも、彼らの探究心がイエスに向いたとき、彼らが探していた真理や知恵、愛が見つかりました。彼ら哲学者たちが発見したものとは、何だったのでしょうか。彼らはどのように、この結論にたどり着いたのでしょうか。
アウグスティヌスはこのように書いています。「私はプラトンやキケロの中に、賢明で美しい文章を読んだ。しかし彼らのどの著書でも読んだことはない美しい響きを、イエスのことばに見つけた。『すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。※7』」※8
ドストエフスキーはこう綴っています。「絶対的な美を表現しようと多くの哲学者が試みた。ロシア人作家だけでなく世界中のどの著作家であっても、この作業には不適格であった。それは限りなく難しいものだからだ。絶対的な美は世界でただ一人、キリストにあるのだから。」※9
C.S.ルイスはこう書き残しています。「人類の歴史は、人間が神以外のものに自分の幸せを求める、長くて恐ろしい物語である。」※10
これらの哲学者をはじめ多くの人々が、人生の答えを探す中で、イエスを信じる信仰にたどり着きました。彼らはイエスとの関係の中で、何を見出したのでしょうか。イエスはなぜ死んだのか の記事をお読みください。
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脚注: (1) Kreeft, Peter, Ask Peter Kreeft, Sophia Institute Press, Manchester, New Hampshire, 2019. ピーター・クレフト博士は1965年よりボストン・カレッジの哲学担当の教授。95冊の著書を執筆。妻と4人の子ども、5人の孫たちに囲まれて生活している。 (2) 前掲書 (3) 前掲書 (4) ヨハネ14:6 (5) ヨハネ10:10 (6) ヨハネ8:12 (7) アウグスティヌス: https://www.goodreads.com/author/quotes/6819578.Augustine_of_Hippo (8) マタイ11:28 (9) ドストエフスキー: https://juicyecumenism.com/2017/11/16/10-quotes-fyodor-dostoyevsky-god-faith-christianity/ (10) C.S.ルイス: https://www.kevinhalloran.net/best-c-s-lewis-quotes/