► | イエス・キリストとの個人的な関係を持つには |
► | 質問や意見があります |
あなたは神を知っていますか。あなたは神をどのよう存在だと認識していますか。神はあなたに何をしてくれますか。なぜ神は、私たちに興味を持っているのでしょうか。なぜ神は、私の祈りに耳を傾けてくれるのでしょうか。宇宙の創造主である神と比べたら、私は何者なのでしょうか。アルファ(はじめ)であり、オメガ(おわり)である方は、あまりにも偉大です。
私にとって、神はすべてです。私は、全く平安を感じられない人生の季節を、何度も経験してきました。多くの疑問を抱え、解答を求めてきました。もちろん私が生まれつき手足がないことも「なぜこうなったのか」と神に問い続けました。
大変なときほど、神に話し掛けるものです。神に何かを求めたり、神に感謝したりします。しかし、あなたは神を知っていますか。必要なときだけ連絡する友だちを、本当の友とは言えません。
あなたが神に話しかけるのを、神はどれほど心待ちにしていることでしょう。この地球が始まる前から、神があなたに心をとめていたことを知っているでしょうか。
神があなたを、お母さんの胎内で形造ったのです。それを知ったのが15歳のときです。私はそのとき、驚くべき平安に包まれました。
ずっと一緒にいてくれる方がいる。私の状況をすべて知り、その状況よりもはるかに偉大な存在がともにいるのです。その方は、両親以上の存在です。両親も私を愛し、私のそばにいてくれます。両親も、私を捨てようなことはあり得ません。しかし両親は、私の状況を完全に変えることはできません。両親は、私の心を完全にいやすこともできません。
しかし神は、私の状況を変えてくれました。すばらしいことに、神は私を愛して、神の子イエス・キリストを送ってくれました。そのイエスは、私の罪のために十字架で死んでくれました。
神が声を掛けたいと願っている私は、一体何者なのでしょう。神がそのひとり子さえも死なせるほどに愛する私とは、何者なのでしょう。確かに、イエス・キリストは、私の罪のために死んだのです。
ヨハネ3:16によると、神がこの地上に来て、私たちを救ったのです。神はそのひとり子イエス・キリストをこの地上に送って、私たちを罪から救いました。
続く17節によると、イエスは裁きのためではなく、私たちを救うために、この世に来たのです。
だからこそ、この世界はイエスこそが唯一の道であり、いのちであると認めるのです。そうです。それはイエスだけが、私たちの罪のために死んだからです。
イエスだけが、神が人となった存在です。
イエスだけが、罪がないきよい存在だからです。
イエスだけが、悪魔に勝利した存在です。
イエスだけが、死から復活した存在です。
私が神を信じ、イエスを神と信じ、友だちとして知ったとき、イエスを死者の中から復活させた聖霊が、私をも死から復活させたのです。
これってすごくないですか。
確かに、私も死にます。この地上の人生では息を引き取りますが、しかし私には復活への確信があるのです。罪からの救いとともに、慰めと、力が与えられています。祈ることで、実際に神に話すことができるのです。
あなたの目から見たら、私は良い人間にうつるでしょう。しかし、神と比べたら、どうでしょう。私、ニック・ブイヂとは何者でしょう?私などは何者でもありません。
人と比べたら、私は良い人間かもしれません。しかし良いと言っても、どの程度のものでしょう。悪いと言っても結局、すべては相対的です。
そこで私たちは聖書を取り出して「わかった。人間同士、もう互いに比べることはやめよう。むしろ、神と自分を比べよう。」
でも実際に神と比べたら、少し困ります。皆さんは、私が手足がないから困ると考えるでしょう。そうではなく、神を知らないことの方が、大きな問題なのです。皆さんにも、神を知ってほしいのです。今からでも遅くはありません。明日、何が起こるかわかりません。今日、神と出会ってください。
► | イエス・キリストとの個人的な関係を持つには |
► | 質問や意見があります |