アシェレーネ・ザイツ
一人暮らしの部屋で、1日中パソコン画面とだけ向き合うとき、私は孤独を感じます。一人で車を運転し、FMラジオを聞きながら赤信号を待つときも、孤独を感じます。駅の雑踏の中、行き交う人の中を一人ぼっちで歩くときも、私は孤独を強く感じます。真夜中、一人ベッドで目覚めて、暗がりの中、眠れぬ夜を過ごすとき、孤独を感じるものです。
孤独…。それはだれもがもつ感情です。一度、孤独を経験すると、もう孤立したくないと感じるものです。孤立への恐れから、私たちは孤独になる事態を避けようとします。結果、人とのつながりを過度に求めて、SNSにのめりこみ、友だちと頻繁にやり取りをします。不安を打ち消すために、お酒やネットゲームに没頭。ネット上の見ず知らずの人と知り合い、時間を使うようになります…。 これらは、この世界で数秒たりとも孤独になりなくないという心理からくるものです。
また反対に、自室に引きこもり、この世界を完全にシャットアウトし、人との接触を完全に遮断する人もいます。孤独を感じ始めたら、もはやそこから抜け出すことはできません。本来、人は結局は一人ぼっちの存在だからです。
旧約聖書にある箴言にはこう書かれています。「心はその人自身の辛さを知っている。その喜びにほかの人はあずかれない。」※1
私たちは基本的に、互いに独立した存在です。ある程度はお互いに理解し合えたとしても、それでも孤独を感じるものです。だれもあなたを、完全には理解できないからです。たとえ今回、孤独に対して上手に対処できたとしても、次にくる孤独への恐怖は、痛みが伴う問題なのです。
人はどのように造られたのでしょう。神は、人を互いの関わりが必要な存在として造りました。人は、居場所となる何らかの共同体につながるように創造されています。そのため私たちは、恋愛や友だち関係を理想化します。本当にふさわしい友だち、恋人が見つかれば、もう孤独など味わうことはないと考えるものです。しかし、たとえ幸せな結婚をしたとしても、孤独を感じるものです。健康な人生を送ったとしても、偉業を成し遂げたとしても、名誉や地位を得たとしても、孤独からは解放されません。
聖書には、多くのものを手にしながら、孤独に耐えた人物の姿を描いています。一方で、何も持たなくても、生きる上で本当に必要なものを神から受け取った人の姿も書かれています。
ソロモン王は古代イスラエル最盛期の王でした。彼は、神から測り知れないほどの知恵が与えられました。莫大な富、巨大な宮殿を持ち、何百人もの妻と側室がいました。ソロモン王は史上、最も裕福な人生を送った人物です。しかしそのソロモンも、自分の豊かだった人生がどれほど「的外れ」なものだったかと、嘆いています。
「しかし、私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益となるものはない。」※2 ソロモン王の生涯がいかに孤独で、絶望に満ちたものであったかがわかります。
イエスはある村を通りかかったとき、重い皮膚病の一種のツァラアトに冒された男性に出会います。ツァラアトは当時、非常に恐れられていました。ツァラアト患者は町から追い出され、家族や友人からも拒否されました。
彼は食べるために、道端で物乞いをしなければなりませんでした。道端で泥だらけになり、道行く人々に物乞いをするツァラアト患者の男性の姿を想像してみてください。だれも立ち止まらず、1円すらくれる人はいません。
イエスがその村に来たとき、そんな彼が立ち上がります。彼はイエスに近づき、足元にひれ伏して、病気を治してくれるように願ったのです。イエスは男性に手を伸ばして、直に肌に触れます。もう何年も皮膚病の肌に手を伸ばし、触れてくれる人はいませんでした。イエスが手で触れると、その瞬間、ツァラアトは治ります。病気の完治で、男性は社会的にも受け入れられる存在になりました。イエスはこの奇跡を、だれにも話さないように指示しました。しかし彼は興奮のあまり、周囲の人々に病気が完治した次第を話します。
彼に喜びと、生きる意味が与えられました。実際に、彼が何か持っていたわけではありません。だれか友だちができたわけでもないのです。彼の人生に何が起こったのでしょう。ただイエスに出会ったのです。
人は、神と関係を築くことができる存在として造られました。神との関係こそが、孤独から抜け出す道です。神であるイエスと交わりを持つ人は、人生に意味を見出し、慰めを受け、喜びに溢れます。ちょうどツァラアトを治してもらった男性に起きた同じ変化が、私たちの人生にも起こるのです。
確かにソロモン王はあらゆる宝石、金銀財宝を手にし、妻もたくさんいました。しかしソロモン王は、生きる意味を見つけることはできませんでした。神と人格的な関係を築くとき、すべてが変わります。イエスを信じるとき、孤独は解決するのです。
では、イエスを信じさえすれば、将来ずっと孤立せずに過ごせるのでしょうか。イエスを信じても、孤独に思うことはあります。なぜなら、人の罪の結果、この世界のシステムは破断しているからです。私たちは罪のため、神から断絶されています。この地上ではだれもが、理想的な人生を送ることはできません。孤独や悲しみ、恐れはいつもあるものです。
孤独を今すぐに解決する手段は、確かにありません。しかし孤独に向き合う上で役に立つ、2つの具体的な提案があります。
私たちは、人とのつながりを必要とする存在です。孤独を乗り越える有効な手段は、居場所となる共同体に加わることです。一人の友だちでは、孤独を十分に解決できません。自分のありのままを受けとめる人々に、囲まれていることが大切です。容姿や、技術、お金や能力ではなく、あなたのありのままを受け入れる人々が必要です。そのような仲間たちの共同体を「居場所」とするとき、もはや孤独を感じなくなります。
友だちが多いことは、健康にも良いようです。人と深くつながると健康になることを、科学も証明しています。インターネットで「友だち・健康への影響」で検索してみてください。
コミュニケーションの専門家で、TED talkの講師でもあるブレネー・ブラウン氏はこう説明しています。「人とのつながりがエネルギーになるのは、相手があなたに目をとめ、耳を傾けているときです。あなたの存在を価値あるものと受けとめてもらうときです。人に与え、人から受けるときです。相手から力と栄養分を受けるとき、関係がエネルギーに変わります。」
あなたを愛する人たちと時間を過ごすとき、自分では持てない新たな視点を持つことができます。孤独を感じるときに、その関係が生きる意味を与えます。
目には見えない神を信じることが、孤独を解決する鍵です。神はご自分の民を決して見捨てません。神は、神に助けを叫ぶ者のすぐ近くにいます。神はあなたを愛しています。あなたと関係を築きたいと願っています。あなたが孤独を感じるときこそ、神のもとにきてほしいと、神は切に願っているのです。
神はあなたの状況をよく理解しています。イエスが十字架に付けられる前夜、多く友がイエスを見捨てました。弟子たちはイエスを知らないとまで語ったのです。イエスは、人が感じる孤独を知っています。聖書は語ります。「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」※3
孤独のどん底にいるときも、あなたは一人ではありません。あなたを造った神が、あなたと一緒にいます。神はあなたを決して見放しません。
罪のゆえに、人は神から引き離されています。そんな私たちのために、神はイエスをこの地上に送りました。イエスは「心の傷ついた者をいやすために」この地上に来ました。神の子であるイエスは、私たちの罪のために十字架で死んだのです。
ツァラアトを患った男性の病気が治りました。彼はツァラアトの完治で、もはや社会から差別されることはありませんでした。あなたが社会全体から誹謗中傷され、除け者にされているとしても、神はあなたの味方です。あなたは神の子どもとされるのです。
著名な著作家であるティム・ケラー牧師はこう語っています。「この世界でただひとり、神はどん底にいるあなたに目をとめています。神の愛は、あなたを空高くにまで引き上げてくださいます。」
神は、人生のどん底にいるあなたに目をとめています。神は変わらない愛で、あなたを愛しています。神は、あなたが神のもとに来ることを待っています。
あなたも今、神との関係を始めませんか。孤独を感じるとき、神の助けを求めてみませんか。イエスを信じるとき、神との関係が始まります。単純に以下のように祈ることで、あなたの人生をイエスが一緒に歩んでくれます。祈る言葉以上に、あなたの心が大切です。神との関係をあなたが始めたいと願うならば、ぜひこのように祈ってください。
「イエスさま、あなたを個人的に知りたいです。私の罪のために、あなたが十字架で死んでくださり、ありがとうございます。今、心の扉を開きます。あなたを救い主、人生の導き手としてお迎えします。私の人生をともに歩んでください。あなたは、私を決して見捨てません。あなたがいつも一緒にいることをありがとうございます。」
こちらの記事もあわせてご覧ください
何で人生 大変なのか?
► | イエスを信じました。成長の助けになる情報はこちらから |
► | イエスを信じたいです。さらに詳しく教えてください |
► | 質問や意見があります |
脚注:(1) 箴言14:10 (2) 伝道者2:11 (3) 詩篇34:18
著者紹介 アシェレーネ・ザイツ
2012年より、アメリカCru.のスタッフ。ライター、ミュージシャン、イノベーターとして仕える。調査・教育部門のスタッフとして、聖書に関する教材の開発や執筆活動に従事してきた。