イエスについて語るだけでも、拷問を受け、殺される危険がありました。それなのに、なぜ十二弟子※1はイエスのことを伝え続けたのでしょうか。
十二弟子は、家族を残し、今までの仕事も辞めました。十二弟子それぞれが故郷を離れ、遠く外国の地にまで出向き、イエスの死と復活を伝え続けた理由は何でしょう。イエスの復活を伝えたために、彼らは暴力を振われ、投獄されました。弟子たちの多くは、殉教の死を遂げたのです。
弟子たちが各地で語ったメッセージとは、どのような内容だったのでしょうか。彼らの伝えたメッセージには、何か根拠があったのでしょうか。十二弟子が各地で伝えたメッセージとはこれです。「イエスが十字架につき、その三日後に墓は空になっていた…」。
それはイエスが事前に語っていたことでもありました。疑いの余地ないほどの明確な事実です。なぜなら、弟子たち自身がその目撃者だからです。
では、イエスのからだは、どこにいったのでしょうか。当時、弟子たちが遺体を盗み出し、イエスの復活を偽装したという噂が広がっていました。はたして、そうなのでしょうか。
もし弟子たちが復活を捏造したならば、彼らは自分が作り出した嘘のために、処刑されたことになります。皆さんは、自分で作った嘘のために、命までも犠牲にしますか。処刑の直前に「やっぱり嘘でした」と告白して、処刑を免れようとしないでしょうか。しかし十二弟子全員が殉教をも恐れずに、イエスの復活を伝え続けたのです。むしろ復活が事実だったから、彼らが命がけで伝えたと考える方が合理的ではないでしょうか。
十字架刑が執行された日、イエスは暴力を振るわれ、ムチ打たれました。そして十字架につけられ、皆が見ている前で処刑されたのです。死亡の確認のために、イエスの脇腹に槍が刺し通されました。
イエスは墓に埋葬されました。当時のユダヤ教の指導層は、弟子たちがイエスの遺体を盗んで、復活を捏造するのではないかと恐れました。彼らはローマ兵の一小隊を派遣して、墓を警備させました。
しかしイエスの死から三日目の朝、復活が起こったのです。警備のローマ兵は逃げ出しました。墓は空になっていたのです。墓には埋葬時、遺体を巻いた布だけが、巻かれたまま残っていました。
その日以来、弟子たちは、復活のイエスと何度も出会います。ある時は、500人以上の弟子たちが集まる中で、復活のイエスが現れたのです。弟子たちは、復活したイエスと長い時間、語り合い、食事も一緒にしました。弟子たちこそが、復活の目撃者なのです。
当時の為政者が、イエスの復活について二度と語らないように、弟子たちに厳命しました。しかし、ペテロとヨハネはこう語っています。「神に聞き従うよりも、あなたがたに従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」※3
弟子たちは危険を冒してでも、彼ら自身が目撃したイエスの復活を、証言し続けたのです。イエスの復活は、イエスが神の子であることの証明でした。復活はイエスの教えに確証を与えるものだったのです。
現在の日本では、イエスを信じただけで、十二弟子が体験したような迫害に遭うことはありません。でも皆さん、イエスの復活についてどう思いますか。皆さんも、十二弟子のように、イエスの復活を信じているでしょうか。皆さんは、十二弟子がイエスの復活をどれほど大切に思っていたか、想像できるでしょうか。
イエスの復活の証拠はこちらの記事をご覧ください。
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脚注:(1) イエスを売ったイスカリオテ・ユダは、首を吊って、自殺した。その後、使徒1:26で、ユダの代わりにマッテヤが選出されている。 (2) この図は、イギリスの歴史家John Foxe(1516-1587年)が執筆した “Fox’s Book of Martyrs”を参考にまとめた。ヨハネ以外は殉教の死を遂げている。ヨハネはエーゲ海の孤島に流刑になるが、その後、釈放され、エペソで晩年を過ごし、この地上の生涯を閉じる。(3) 使徒4:19,20