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[動画:ナレーション日本語字幕]
神は良い方なのでしょうか。
神が良い方なら、なぜ世界に苦しみや悪があるのでしょうか。
もし仮に、神が全能だとします。つまり神は、論理的に整合性があることは、何でもできるとします。神は銀河も、素粒子も、熱帯雨林も造ることができます。そしてあなたをも造りました。
しかし神は、論理に符合しないことはできません。神は角がある「円」は造れません。片方しか起点がない棒も、神には造れません。神は、自分で持ち上げられないほどの巨大な岩を造るでしょうか?答えは当然「いいえ」です。
では、神が人間を創造したとき、自由意志を持つ存在として、人を造ったらどうでしょうか。自由があることは、良いことです。しかし、人に自由意志があるならば、神は人に服従を強要することはできません。 なぜなら、選択肢のない自由は、論理的にあり得ないことだからです。
選択肢がない自由は、論理的に矛盾しています。
神はロボットを造りたかったのではありません。神は人間を造りたかったのです。
人類最初の人、アダムとエバは自由に選択する力を持っていました。しかし彼らは自由を乱用しました。アダムとエバの誤った選択、そして私たちの誤った選択の結果が、全世界に広がりました。
人に自由を与える責任は、神にあります。しかし選択の自由の中でどう行動するかは、人の責任です。
しかし、私たち人間だけが苦しんでいるのではないのです。全人類の苦しみと悪に終止符を打つのは、神だからです。
神が人となって、私たちの苦しみをともに担ったのです。
神は良い方です。神は、現実世界で生きるあなたが、この神を知ることを願っています。しかし神を信じるのか、信じないのかは、あなた自身の選択です。
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『悲劇の中にも神はいるのか』の記事も合わせてご覧ください。
苦しみと悪に終止符を打つために神が行った解決策に関してはこちらの『なぜイエスは死んだのか』の記事をご覧ください。
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