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なぜ苦しみはあるのか?

脊椎損傷の事故からの絶望と悲しみ、その体験の中、著者が見い出した希望とは…。

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スティシー・ジェームス

大学3年生のとき、私はプールでの転落事故で、脊髄が損傷。首から下が、動かなくなりました。一瞬の事故で、私の人生は根本から変わってしまったのです。

私はだれよりも陽気で、活動的な大学生でした。しかし転落事故以来、二度とジョギングも、チアリーディングもできなくなりました。得意だったピアノの演奏も、ギターを弾くこともできなくなりました。そして何より、世界に羽ばたき、活動したいという、私の夢も砕かれました。神はどうして、このような悲劇的が起こることを許したのでしょう。

もう私は身体を動かせないと考えるたびに、涙がこぼれてきました。しばらく面会謝絶で友だちにも会えませんでした。初めから回復は不可能だと、匙を投げた医師にも、憎しみすら感じていました。車椅子に乗る私を見る、周りの目にも耐えられませんでした。

障害が残っても沈まない

「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」※1 以前、読んだ聖書のこの箇所を思い出しました。

確かに、私の状態は絶望的です。それでも神が私のことを愛しています。この神の愛に、希望があるのです。きっと神が、私の人生に何か特別な計画を持っている。こう思うようになったのです。

結局は、私の心の選択にかかっていたのです。神に信頼して、神の力に頼って生きていくのか。それとも、神を憎み、屈折した心で生きるのか。二つに一つです。正直に、感情は伴いませんでした。しかし、私はそれでも神に信頼しようと決心したのです。

実際に、苦しみに直面するとき、神の愛を疑うことはよくあります。「神さま、私のことを本当に、愛していているのですか。なぜ、こんな悲劇が起こることを許したのですか?」こうつぶやきたくなるものです。

状況の良し悪しで、神の愛を測ることができません。聖書はこう語ります。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。」※2

聖書の約束によって、神の愛の深さを知ることができます。今の状況の良し悪しを、神の愛を計る物差しにしてはいけません。

人生の試練

今、苦しみや問題があったとしても、確かに神はあなたを愛しています。神はむしろ、困難を用いて、私たちを訓練し、成長させます。

「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」※3

人生には、多くの苦しみが伴うものです。今でも私自身、事故の後遺症に苦しんでいます。他にも、愛する人を亡くした経験もあります。人生には良いこともあれば、悪いことも起こります。私自身も、それでも変わらない神の愛の深さについて、少しずつ学んでいるところです。

神に心を注ぎ出す

神は、悲しむ自由も、涙を流す自由も、私たちに与えています。負の感情を心に押し殺してしまうと、それがいつか否定的な形で爆発します。私たちが苦しみの中にあるとき、悲しみや痛みを、適切な方法で表現してください。自分の感情を隠す必要はありません。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」※4

特に神に対しては、悲しみや苦しみを、正直に表現する必要があります。神は私たちの心をすべてご存じです。私は今でも、疑問に思ったことは、素直に祈り、神のところに持って行くようにしています。また、親しい友だちに話を聞いてもらいます。

慰める力

私たちの悲しみ、苦しみを、神の前に持って行くとき、神が私たちを慰めてくれます。神は「あわれみ深い父」であり、「あらゆる慰めに満ちた神」だからです※5。聖書はこう語ります。

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」※6

人生で苦しみを体験するとき、神が私たちを慰めてくれます。その慰めをもって、私たちも周りの人を慰めることができます。神は、慰めを与える担い手として、私たちを用います。そして私たちが語る慰めから、苦難に耐え抜く力を、神は人々に与えるのです。

永遠に続く希望

神は、私の将来に、希望を約束しています。今は脊椎損傷の後遺症で苦しんでいます。しかし、いつか天国に行くとき、もう一度、歩けるようになるからです。神は、死も、病も、苦しみもない、すばらしい天国を、イエスを信じる人たちに用意していています。

今、私は障害に、いらだちを覚えることはなくなりました。それ以上に、神のすばらしさを、日々体験しています。私は以前より、随分と強い人間になりました。たとえスポーツのスター選手になって、莫大な資産を手にしても、神の存在を知らなければ、何の意味があるでしょう。イエスを信じずに、永遠のいのちを得ていなければ、この世の名声や功績に何の意味があるでしょう。私はむしろ、この短い生涯を、イエスとともに車椅子で過ごせることを感謝しています。

こちらの記事「何で人生、こうも大変なんだ」も、ぜひご覧ください。

https://www.studentinjapan.com/a/why.html

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脚注:(1) ヘブル13:5 (2) 1ヨハネ4:9 (3) 1コリント10:13 (4) 1ペテロ5:7 (5) 2コリント1:3 (6) 2コリント1:4

[著者紹介]スティシー・ジェームスは大学時代の事故以来、肩から下が動かない障害を負う。大学卒業後、車椅子スポーツの選手として活躍。車椅子フルマラソンを15回走破。車椅子の水上スキー、雪上スキー競技、カヤックの選手でもある。現在、世界各地で講演活動を行い、多くの人々の人生に大きな影響を与えている。


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