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最高の贈り物

今年クリスマス、神からあなたへの最高の贈り物を受け取ってください。

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マリリン・アダムソン

クリスマス。美しいイルミネーションが夜空に輝き、町中がデコレーションで彩られる季節です。心がワクワクする季節でもあります。

人々の幸せが強調される分、ストレスを感じる季節でもあります。恋愛や家族の温かさのイメージの中、逆に孤独を感じるときでもあります。いろいろな感情が交錯し、多くのドラマが生まれます。

このクリスマス、何か特別なことが起こらなくても、あなたが心からの喜びを感じる季節になるように願っています。

現在の商業化されたクリスマスから一歩身を引き、本来のクリスマスの意義を振り返るときとなってほしいと思っています。そもそもなぜ、この日本でもイエス・キリストの誕生を記念するのでしょうか。

まず新約聖書ルカの福音書から、イエス・キリストの誕生がどうであったのかを、こちらの動画からご覧ください。

イエスの誕生

イエスは、王宮で誕生したのではありません。イエスの両親は、裕福ではありませんでした。イエス自身も、政治指導者としてユダヤ州全体を支配することもありませんでした。またイエスは、ローマ帝国の支配から解放する革命家でもありません。イエスは芸術作品を生み出すこともありませんでした。ビジネスに成功したわけでもありません。

イエスは大工の家庭に生まれました。イエスが生まれたのは、エルサレム近郊の寒村ベツレヘムでした。しかしイエスは自らを神だと主張しました。イエスは人々に罪のゆるしを宣言しました。イエスは人々にいのちを与えました。人々の人生に「豊か」に与えました。イエスは無償の贈り物として、神とともに生きる「永遠のいのち」を人々に与えたのです。

イエスは言います。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」※1

イエスは単なる人生の選択肢の一つとして、ご自分を現さなかったのです。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※2

イエスは神なのか?

多くの人々がイエスを、偉大な教師、預言者の一人と捉えています。イエスをこう認識する方が、自然であり、受けとめやすいものです。

しかし、イエスをメシア(救い主)だと捉えることはどうでしょう。イエスを旧約聖書の預言者たちが語った「神が人となって私たちの間に住んだ」存在だと、皆さんは信じることができますか。

旧約聖書の預言者ミカは、メシアがベツレヘムで生まれることを預言しました。ダビデ王は、自分の子孫の中からメシアが出ることを語りました。

預言者イザヤは、メシアの働きがガリラヤ地方を中心に行われることを語りました。また、イエスの死が、殉教であることも伝えました。

その他にもメシアに関する預言は数々存在します。メシア預言と特定できるものだけで、ゆうに100箇所を越えます。これらの数々の預言の中から、1世紀の人々はメシアの来臨がどのようなものかを認識していました。

イエスは、まさに数々のメシア預言を、その人生の中ですべて実現させたのです。数々の預言のうち、主要な8つの預言だけを選んで、一人の人の人生に起こる可能性を計算すると、1/100,000,000,000,000,000の確率です。統計学的に、偶然ではあり得ません。神の特別な意図があったのです。

奇跡から信じた人々

イエスと同時代を生きた人々は当初、イエスが行う奇跡とあわれみの行動を見て、イエスに従いました。イエスは、目が不自由だった人の視力を回復させました。道ばたで施しを求める足の不自由な人の足を直しました。精神障害を患う人もいやしました。

聖書は語ります。「それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒された。」※4

イエスの奇跡は、体の病気だけではありません。人々の深い感情面の痛みにも、イエスは寄り添い、いやしたのです。脳卒中の後遺症で寝たきりの男性にイエスは語りました。

「しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」 人々はイエスのことばに怒り心頭でした。「この人は神を冒瀆している。…神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」

イエスはそんな彼らにこう答えます。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために…。」そう言って、全身不随の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい。」すると、寝たきりの人が立ち上がり、完全に障害は完治したのです。同時に、彼を縛る罪責感も解決されたのです※5。

心の葛藤に寄り添う

5人の夫をもち、現在6人目の男性と暮らす女性に対し、イエスは神の愛について語りました。神の愛が、彼女の心にある愛されることへの渇望を、満たすものだったからです。

イエスはまた、困難な状況の只中にいる人々に、平安を与えました。イエスはこう語ります。「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」※6

イエスは、私たちの抱える問題よりも力強い存在です。イエスには、私たちの必要のすべてを満たす力があります。罪のゆるしを宣言できるのは、イエス以外にだれかいるでしょうか。

心の平安や喜びを、だれもが必要としています。イエスは、人々にまったく新しい人生を与えることができます。預言者も、聖書の教師もそれはできません。

イエスはこう語ります。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」※7 だからこそ人々はイエスに従ったのです。

イエスのように、私たちの必要を満たす方は、他にはだれもいません。イエスは、誠実な心で人々に教えました。彼の語ったことばから、今日、私たちもイエスを信頼することができるのです。

神が人となった

イエスは、人々の罪をあえて指摘しました。イエスはあえて人々の罪に向き合ったため、大きな批判を浴びました。しかしイエスに批判的だった人々も、イエスに対抗することはできませんでした。

あるとき、イエスを逮捕するために、兵士たちが派遣されました。しかし結局、兵士たちはイエスを逮捕できませんでした。為政者たちが兵士に、なぜ逮捕しなかったのかを尋ねたとき、兵士たちはこう答えました。「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」※8

イエスは湖で嵐にあったとき、大風に命じて、突風を即座に治めました。舟に同乗していた人たちは、この奇跡に驚嘆しました。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」※9

イエスは自分についてこう語っています。

「わたしと父とは一つです。」

「もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。しかし、行っているなら、たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるためです。」※10

イエスは神だと主張した

聴衆はイエスが語るメッセージを全く理解できなかったようです。「そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。…神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。」※11

イエスは自分を神とまったく同じ存在だと語ります。イエスを知ると、神を知ることができると、イエスは語ました※12。

イエスを見る人は、神を見ることになります※13。イエスを信じる人は、神を信じることになります※14。イエスを憎むことは、神を憎むことです※15。イエスをあがめることは、父なる神をあがめることになるのです※16。

無神論者だった私の経験

ここで、生粋の無神論者だった私の経験をご紹介します。もともと私は、クリスチャンと出会うと、「この人はきっと何か困ったことがあったからだ」と思っていました。

幸い私の場合、友人が神の実在を表す、明確で科学的な証拠を教えてくれました。同じように、その友人がイエスが神であることも教えてくれました※17。

私たちがクリスマスを祝うのは、この日に生まれたイエスがどのような方かを理解したからです。イエスを信じるとき、カフェのBGMで聞き流していたクリスマス・キャロルが、意味ある歌詞に聞こえてきます。「喜びたたえよ。主が来られる。世界の人よ。心開き。主を迎えよ。」

賛美歌「諸人こぞりて」をお聞きください

イエスはもはや単なる預言者でも、偉大な教師でもなくなりました。イエスは、神ご自身が私たち人間の一人となって、現れた存在だと信じることができました。

※私がどう信仰に至ったかは「宗教嫌いの私が…⁉︎」をご覧ください。

イエスが地上に来た理由

では、なぜイエスはこの地上に来たのでしょう。イエスがこの以上に来た目的は何だったのでしょうか。

皆さんの中には、自分の人生は薄っぺらく、生きる特別な意味があるとは考えられない人もいるかもしれません。クリスマスに特別な贈り物をもらっても、何か物足りないように感じることもあるかもしれません。

というのは、神との「関係」を築くことができてはじめて、人生は充実するからです。イエスは、私たちが神との「関係」を築く道を開きました。

「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※18

よくある間違え

人々は間違えた方法で、神に近づこうとしています。良い行いを頑張って行うことで、神から受け入れられようとします。

神に条件をつけて、交渉するのです。「神さま、私はこんなに善良な人です。親切で寛容であるように努力しました。祈りもしました。殺人犯のような凶悪事件に手を染めたこともありません……。」

努力そのものは尊いものです。しかし神が定めた基準がどれだけ高いのかを、私たちはよく理解するべきです。イエスは語ります。「ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」※19

神の基準

自分の「完璧さ」がどれほどのものかを見てみましょう。例えば、今日一日、人を批判せずに生きてみるとします。そのための最善の方法は、人との接触を一切断つことです。でも、それは不可能です。私たちは普段、人と会話をし、相手の話に気をとめます。

相手を見下したり、人を不快にするコメントを控えようと、努力します。しかし、ときに私たちは条件反射的に相手に対して、否定的な判断を下します。

例えば大学の授業に、担当教授がオレンジのボトムスに、グリーンのジャケットを着て現れたら、どうでしょう。教授の服装は、学生たちの期待するドレスコードとは違います。仲間と一緒に陰で、教授の服装を笑いますか。

もしも、教授の奥さんが癌の化学療法中で、夫の服のコーディネートができないとしたら、どうでしょう。あなたは本当の事情も知らず、相手を勝手に自分の基準で判断したことになるのです。

「わかった。人を見かけだけで判断するのはやめよう。」こう決心して、人を批判的に判断しないように、表向きは頑張ったとします。

それでも一日中、周りの人の批判的なコメントにイラッとすることもあります。もし自分が相手を批判しないようにしても、どこかで「自分は違う」「私は大丈夫だ」という態度が出てきます。

それも神の完全な「基準」には達してはいないのです。聖書は、私たちはみな罪人だと語っています。この事実に驚く必要はありません。

罪が、私たちを神から引き離します。神と私たちとの間には、越えることのできない断絶があるのです。聖書は「罪の報酬は死です」※20 と語っています。

罪の代価

イエスがこの地上に来た一番の目的が、私たちの罪の代価を支払うことでした。聖書は語ります。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。」※21

もし人の良い行いによって神との関係が回復するならば、イエスはこの地上に来る必要はなかったのです。当然、十字架につく必要もありませんでした。

イエスは、私たちへの愛のために、十字架で処刑されました。ムチ打たれ、十字架に両手、両足は釘づけにされました。十字架の上で、多量の出血と、呼吸不全で死んだのです。

しかしイエスはその死の3日後に、死からよみがえりました。イエスの十字架と復活で、私たちの罪は完全にゆるされ、神との関係が回復するのです。

神からの贈り物

この神が差し出した贈り物を、私たちは拒む自由もあります。しかしぜひこの神からの贈り物を、あなたが受け取ってほしいと私は願っています。

かつての私は、クリスチャンになるために、何か宝くじに当たったような、雷に打たれたような、特別な体験が必要だと思っていました。しかし実際は、あなた自身の個人的な決断によるのです。

神は、あなたとの関係を始めたいと願っています。神のこの招待に応えるかは、あなたの決断です。イエスはこう語っています。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」※22

私たちがイエスのことばに応答し、イエスをあなたの人生に招くとき、神との永遠の関係が始まります。

聖書は語ります。「神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。」※23

イエスを個人的に知るとき、神の無条件の愛がわかるのです。

神は語ります。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」※24

どんな状況、どんな問題が人生に起こっても、希望があります。神の力を知り、神の愛に確信を持つことができます。

心の扉を開き、イエスを信じても、突然、あなたの生活が宗教的になるわけではないのです。むしろイエスを信じることは、神との関係が始まる第一歩です。

イエスはこう語ります。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」※25

誇大広告ではない

私はかつて広告代理店で勤めていました。いつも「誇大広告」にならないように、細心の注意を払って、仕事をしてきました。

冷静になるためにも、この質問を考えてみてほしいのです。「クリスチャンになって、神との関係が始まったら、人生は楽になるのか。」答えは「いいえ」です。

私が妊娠8ヵ月だったときのことです。クリスマスが迫っていました。初めての赤ちゃんでした。しかし検査の結果は最悪なものでした。産まれてくる赤ちゃんの心臓がとまっていると伝えられたのです。

神は宇宙万物を創造した神です。私の赤ちゃんも、神が形造ったはずです。神は確かに、私を愛しています。神がその手に、私の赤ちゃんのいのちも抱いているはずなのに……。クリスマスの翌日、死産とわかっている赤ちゃんを処置する手術を受けました。

赤ちゃんが死産だった悲しみ、妊娠生活が悲劇的な結末に終わったのは事実です。しかしそれにもかかわらず、神は私に平安を与えてくれました。本来感じるはずの苦痛、深い悲しみ、憤りもありません。心は平安だったのです。

なぜお腹の赤ちゃんが死んだのか、その理由はわかりません。しかし神には何らかの理由があるはずです。私の人生で神がした数々の業を思い出すと、それでも神に信頼することができました。胎内の赤ちゃんの死。その絶望から、神は私たち夫婦を守ってくれました。

イエスは語ります。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※26

イエスこそが最高の贈り物

このクリスマス、あなたに最高の神からの贈り物が用意されています。最高の贈り物とは、あなたのためにこの地上に来て、十字架で死んだイエス・キリストです。

イエスは完全なゆるしを与え、個人的に神を知る道を与えました。その結果、私たちは充実した、意義深い人生を送ることができるのです。

イエスは神です。私たちがイエスを神だと信じることを、イエスは願っています。あなたが行った良い行い、あなたの資格や資質を根拠にする限り、神との距離は埋まりません。

私たちの罪が、神との大きな断絶となっているからです。神は私たちの努力や、手にするいっさいの業績を捨てて、神のゆるしと新しい関係の贈り物を受け取ってほしいと願っています。

今、イエスを信じてみませんか。まだあなたがイエスを信じていなければ、今、一緒に祈りましょう。こう祈ってみてください。

「イエスさま、私の罪のためにあなたが十字架で死に、罪の刑罰を代わりに負ってくれました。今、心の扉を開きます。あなたを信じます。私の人生をともに歩んでください。あなたをもっと知りたいのです。罪をゆるし、永遠に続く、あなたとの関係を与えてください。」

今、このように祈ったのであれば、イエスは「決してあなたを見捨てない」と約束しています。

イエスはまた、こう約束しています。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」※27

イエスをもっとよく知るために、福音書を読むことをお勧めします。福音書とは新約聖書の最初の4つの書物です。これら4つの福音書を読むと、きっと驚くはずです。

ちょうどカフェでコーヒーを片手に話し合うように、イエスが直接、あなたに語りかけ、あなたの質問に答えてくれます。福音書からイエスの生涯を知りたいという方はこちらの聖書通信講座がお勧めです。

毎日聖書「ヨハネの福音書」

ルカの福音書からイエスの生涯を映画化した『ジーザス』はこちらから無料でご覧になれます。

映画『ジーザス』

イエスを信じる以上に、最高のクリスマス・プレゼントはありません。神との新たな関係からくる平安や喜びを得ることができます。クリスマスが待ち遠しくなります。ただ知識としてイエスを知るだけではなく、イエスと人格的に出会う体験、これこそがクリスマスの本当の意義です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」※28

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脚注: (1) ヨハネ 14:6 (2) ヨハネ 8:12 (3) Josh McDowell, “A Ready Defense”, (San Bernardino, CA: Here's Life, Publishers, 1990). p. 213. (4) マタイ 9:35 (5) マタイ 9:6,7 (6) ヨハネ 16:33 (7) ヨハネ 10:10 (8) ヨハネ 7:46 (9) マルコ 4:41 (10) ヨハネ 10:30,37,38 (11) ヨハネ 5:18 (12) ヨハネ 8:19; 14:7 (13) ヨハネ 12:45; 14:9 (14) マルコ 9:37 (15) ヨハネ 15:23 (16) ヨハネ 5:23

(17) イエスは神だという証拠についてはこちらの記事をご覧ください。
「イエスは神か 偽善者か?」

(18) ヨハネ 1:12 (19) マタイ 5:48 (20) ローマ 6:23 (21) 1ヨハネ 3:16 (22) 黙示録 3:20 (23) 1ヨハネ 5:13 (24) エレミヤ 31:3 (25) ヨハネ 6:35 (26) ヨハネ 8:12 (27) ヨハネ 10:27,28 (28) ヨハネ 3:16

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