×
検索
StudentinJapan.com
人生について、神について
 安心して質問できる場所
体験談

頼れるのは自分だけ?

頼れるのは、自分だけなのでしょうか。自分の思いが強く出てしまうとき、失敗し、家族を傷つけてしまうこともあります。インタビュー(11:15)をご覧ください。

LINE Share Twitter Share Facebook Share Share by Email More PDF

The Gospel Through A Click

ボルダリングは、腕の力だけで上に登って行くことはできません。しっかりとしたプランニングをすること、そして足を使って登っていくことで、自分の力以上のことができます。ボルダリングの楽しさはそこにあります。

頼れるのは自分だけ?

自分の意志と思いだけで生きていくことに、不安と大変さを感じていました。「自分で何でも解決しなければならない」と思って、僕は生きてきました。自分の思いが一番正しいと思っていました。

僕の父親は神道、母親は仏教のお寺で育ちました。僕自身も大晦日は除夜の鐘つき。正月は初詣が大好きで、よく行っていました。妻と出会い、2002年に結婚しました。結婚後も、同じように生活をしていました。

幼馴染のアメリカ人の友だちと会う機会があり、そのとき初めて、イエスさまのことを聞きました。

日本の宗教ではない

僕自身はイエスさまに対して、「日本の宗教ではない」という思いが強くて、信じるに値しないという思いが強くありました。聖書の内容も、どこかフィクションのように思っていました。

妻があるとき、アメリカの友だちの家に遊びに行きました。その友だちの家から帰ってきた妻が、突然、教会に行きたいと言い出しました。

僕自身は「どうしたんだろう。」「アメリカで、何があったんだ?」という思いが強くありました。妻には「クリスマスはまだ来ていないよ」と言ったんです。

でも妻は「クリスマスでなくても、教会には行けるのよ」と教えてくれました。僕は必死に妻を止めたんです。しかし妻は「一人でも教会に行く」と言って聞きません。妻を守るつもりで、僕も教会に着いて行きました。

家族を守りたくて…

そのとき、初めて教会に行きました。僕の中では、教会はどこか格式が高い。敷居が高くて、入りづらい場所だと思っていました。

でも実際に教会に行ってみたら、教会の人々はすごくフレンドリーで、温かく僕らを迎えてくれました。僕が想像していた以上に、教会は入りやすい場所でした。でもすぐにイエスを信じることもなく、僕は妻を守ることに必死になっていました。

あるとき、教会で出会い友だちになった方が、私たち夫婦のために祈ってくれました。その方はお祈りの中で「もし今、イエスさまを信じたいならば、イエスさまを心に受け入れるように、一緒に祈りましょう」と言いました。

そのとき、妻が突然「私はイエスさまを受け入れます」と言ったんです。「おい。どうした?」と思って、僕はびっくりしました。

おい。どうした!?

クリスチャンになるには分厚い聖書を全部読破して理解しなければ、クリスチャンになることはできないと、僕は思っていました。なので「いつの間に、聖書を全部、読んだの?」と思っていました。

家に帰って、妻に聞いてみました。「聖書は全部読んでいなくても、イエスさまを信じて、受け入れ、イエスさまとともに歩んでいくと決めたら、クリスチャンになれるんだよ」と妻から教えてもらいました。

「ああ、それなら僕でもクリスチャンになれるかもしれない」と思いました。

聖書はフィクション?

ただやはり、まだ心のどこかで「聖書はフィクションだ」という思いが強くありました。いろいろな疑問があったので、アメリカ人の友だちに質問をしました。また、自分でもキリスト教系の本を集めて、ひらすら読みました。それでも、最終的にイエスさまを信じ、受け入れることはできませんでした。

そんなとき、アメリカの友だちが再度、日本に来ました。友人一家と別れる前、旦那さんが僕たちのために祈ってくれました。彼は英語で祈ってくれました。しかし僕は英語がわからなかったので、彼が何を祈ったのかも理解できませんでした。

いつもそばにいる

あるとき、家のべランダに出て、「イエスさま、あなたは本当にいるんですか?」と心の中でつぶやきました。

そうしたら、突然「いつもあなたのそばにいるよ。」

この声ではない、心のうちに響くことばが投げかけられたんです。僕はちょっとパニックになって、「これは何だ?」と思いました。

でも同時に、安心感もあり、平安な気分でもありました。すごくうれしい気持ちでもありました。ことばでは表現できないような体験でした。

祈りの答え

慌ててアメリカの友だちに電話をして、こんなことがあったと報告しました。すると「それは聖霊だよ」と教えてくれました。

以前、その旦那さんが来日した際に祈ってくれたことは、「彼にイエスさまを見せてください」という祈りだったことを、そのとき教えてくれました。

もうこれ以上、イエスさまを信じない理由は一つもなくなりました。それで僕の中で、イエスさまを信じ、受け入れました。

イエスを信じて…

「イエスさまならば、どう考えるのか」ということを意識して、行動するようになりました。以前、「クリスチャンになると、人生はとても豊かになって、すべてハッピーになるはずだ」と思っていました。

でもクリスチャンになっても、人生にはつらいことも、悲しいことも、大変なことも多くあります。

ただそういう辛いことを乗り越えるために、イエスさまが僕たちを支えています。イエスさまがいつも、僕たちの人生を導いています。こう感じることが、「クリスチャンになって、良かった」と思うことです。

イエスなら、どう行動するのか?

人間として、自分の思いに頼って、自分の思いが先に出てしまうときがあります。そのときは、必ず失敗するものです。

自分自身も失敗し、家族を傷つけることもあります。その中でも、常にイエスさまを信頼し、より頼んで、イエスさまを中心に行動することが大切です。

「心を尽くして 主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。」(箴言3:5,6)

自分の悟りや自分の思いに頼らず、神さまを認めことが大切です。神さまを中心に行動することが大切だと思っています。

 イエス・キリストとの個人的な関係を持つには
 質問や意見があります

こちらの記事もご覧ください
「聖霊とは何か?」
動画「生かされている」
動画「愛されているあなたに」

The Gospel Through A Click

聖書:新改訳聖書2017©️2017新日本聖書刊行会


他の人にシェアする
LINE Share Twitter Share Facebook Share Share by Email More