The Gospel Through A Click
野球は命です。7歳のとき「太り過ぎだから、スポーツをやれ」ということで、親に無理やりに野球をやらされたのが始まりでした。
デブキャラだったので、キャッチャーをやらされました。最初はイヤイヤやっていました。しかし、あるときから野球が楽しくなって、気づいたらプロを目指していました。
16歳のときから、危ない連中と付き合い始めて、いろいろな悪さをしました。親に隠れて、酒とか、薬をするのは、かわいい方でした。
集団詐欺、窃盗、違法薬物売買…。挙句の果てには、同じ高校生や地元の大学生と悪さをすることでは物足りなくなりました。17歳なのに23歳を偽って、偽名を使って、危ない大人たちと平気で連んでいました。
自分のやっていたことは違法なことで、下手したら人生が終わるということも、わかっていませんでした。好んで自分から破滅の道へと進んでいた、救いようのないバカでした。
18歳、大学生のときに、イエスさまのことを初めて知りました。その大学は野球の強豪校で、世界中から有望な選手が集まっていて、自分はベンチ入りすら果たせませんでした。始めて地元を離れたので、すごくホームシックになりました。どん底の状態でした。
そんなとき、食堂に行ったら、外で宗教団体の人たちがポケットサイズの聖書を配っていました。神さまなんかいないと、18年間ずっと思っていました。面白半分で1冊もらって、寮にもどって、読み始めました。
キリスト教について、何も知りませんでした。聖書を開いて読んでみると、勇気を与えてくれる名言集のようでした。そこでチームメイトの中のクリスチャンに「イエスさまはだれなのか?」またクリスチャンがやることについて教えてもらいました。
地元に帰って、知り合いに人生で初めて教会に連れて行ってもらいました。教会が終わった後、駐車場の自分の車の中で、大号泣したことを今でも覚えています。教会はそれだけ、僕に刺激を与えました。
数日後、教会に連れて行った友だちが、クリスマスに聖書をプレゼントしてくれました。イエスさまに着いていくことを決めた大きな理由は、罪からのゆるしと、神さまの壮大な愛情でした。
自分みたいな黒歴史だらけの人間で、とっくに殺されていてもおかしくないような人間でも、神さまがゆるしてくれることに、気がつきました。自分が今、自由の身で、生きていること自体が奇跡だと感じました。自分が神さまを信じていないときでも、神さまは自分のことを守っていました。この神さまにすべてを託そうと決めました。
たくさんの人は神さまに着いていけば、つらいことはなくなると勘違いしています。正直、神さまに着いていくようになってから、自分が直面する壁が百倍高くなりました。でも同時に、自分も神さまによって千倍ぐらい強くなりました。
僕が初めて心動かされた聖書のことばがマタイ24章13節です。「最後まで耐え忍ぶ人は救われます」ということばです。
僕が聖書を読み始めたとき、キリスト教についても、イエスさまについても何も知りませんでした。このことばを読んだときは、人生をどう生きたら良いのか、わかりませんでした。人生の中で、いろいろなことを諦めかけていました。
最初、この聖書のことばを読んだとき、「やはりあきらめずに、がんばらなければいけなんだ」と思いました。その後、聖書やキリスト教についてもっと勉強して、聖書が語る全体像がもっとわかるようになってから、もっと深い意味があることに気がつきました。
最後まで、イエスに着いていくならば、自分たちは救われるということがわかりました。地上の面での救われることと、天で救われることの両方の意味があることを理解しました。この聖書のことばはスゴイと思いました。
皆それぞれに、神が与えた道があります。神さまが自分を造ったのには、理由があります。神さまが自分に、独特な才能を授けてくれました。神さまの導きで、才能を活して、意味あふれた人生を歩めるように願っています。
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