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二つの真実

キリスト教がある人には真実で、他の人にはそうではないというようなことがあるのでしょうか。

マーク・ハンサード

-以前ある学生とキリスト教について話をしていたときのことです。この人は見るからに頭の切れそうな学生で、特に科学や哲学の分野にたけているように見えました。

「キリスト教はあなたにとっては最善のものかもしれませんが、わたしには向いていないんです。人それぞれに自分にあった宗教を見つけるのが一番いいんじゃないんですか。」

そこで私はこう答えました。「確かに君のいっていることは、その通りだね。」「僕は無理に自分の考えを君に押し付けようとしているんじゃないんだ。もしよければ僕の考えを簡単に説明するから、よかったら君がどう思ったかを教えてほしいんだけど。」「一つ一緒に考えて欲しいのは、二つの異なった真実が存在するということなんだ。その一つは、見解、趣向と呼ばれるもので、たとえばチョコレートのアイスクリームが好きな人もいれば、バニラの方が好きだという人もいるよね。ある人は会計学を専攻しているのに対し、もう一人の人はスペイン語を専攻しているといった具合にね。」

「でもここでもう一つの異なった真実が存在するということも忘れてはいけないことだと思うんだ。そのいい例が科学的、物理的法則といったものがそれで、たとえば万有引力の法則は世界のどこでも変わることなく存在する法則なんだ。実は、この法則が発見される前からこの法則はすでに存在していたんだ。そうだね。」

「確かにそうですね。」と彼はうなずきました。

「多くの人は「宗教」というものをアイスクリームと同じ、『見解』分野に押し込めてしまおうとしてるんだけど、聖書を読むと霊的な事柄は、むしろ「万有引力の法則」やその他の普遍的法則と同じ分野に属していると教えているんだ。その人がそれを信じようと信じまいとその事実は代わることがないと言っているんだね。」

「聖書が正しいか間違っているかは別にして、ここで知っておいて欲しいのは、わたしたちの罪が神様との関係を妨げていて、イエス・キリスト以外にこの問題を解決する方法はないと聖書は教えているということなんだ。」

「もちろん君は自分の好きな方を信じればいいんだ。僕は何もキリスト教を信じるように強制しているわけではなんだから。でも一つだけ考えて欲しいことがあるんだ。もし君の考えが正しくて、僕が間違っていたとしよう。僕は死んだ後に土に帰るだけで、失うものは何もないことになるよね。でももし仮に、僕の言っていることが正しくて、君が間違っていたとしたらどうだろう。君は永遠の時を地獄で過ごさなければならなくなるんだ。こういうふうに考えると、このことを少し真剣に考えてみる価値があるように思わないかな。」

そのとき彼は、かなり真剣な顔つきをしていたのを今でも覚えています。

ほとんどの人はキリスト教が排他的でうぬぼれた宗教だと誤解しているようです。確かにそのように聞こえることは事実ですし、高慢なクリスチャンが存在することも否定することはできません。でも多くの場合、聖書が教えていることが誤解されているのです。イエス・キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」と教えられましたが、それは「わたしが最高であり、わたしの方法を信じるものだけを天国に入らせてやる。」というように言われたのではないのです。

私達が罪を持っている限り、神のみもとに到達することはできません。自分の努力で神に到達しようとするとき、私たちは行き詰まりを体験します。でも神様はわたしたちに手を差し伸べることがおできになるのです。イエス様はわたしたちの罪を赦すためにこの世に来て下さいました。それはイエス・キリストを通してわたしたちが神との関係を持つことができるためなのです。

この他にもキリストは、「わたしのことばを聞いて、神を信じる者は罪に定められることがなく、永遠のいのちを得ているのです。」とも言われました。イエス・キリストはわたしたちのために死なれただけではなく、死からよみがえられたと聖書は教えています。もしイエス・キリストのほかにも神が存在したなら、救いのための道は他にも色々とあることになるわけですが、わたしが知りうる限り、キリスト以外に神と呼べる人は一人も存在しないのです。

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