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イエスは自分が神だと本当に語ったのか?

イエスは自分についてどう語ったのでしょうか。イエスは自分が神だと語ったのでしょうか。

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イエスを神だと確信した人々がいました。
まず彼らの証言を聞いてみましょう。

パウロはイエスについてこう語っています。イエスは「見えない神のかたちであり、すべての造られたものよりも先に生まれた方です。」※1

使徒ヨハネはこう語ります。「この方は、初めに神とともにおられた。」※2

ペテロはこう証言します。「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。」※3

はたしてイエスは、自分を神だと本当に語ったのでしょうか。4つの福音書を読むと、イエスは確かに自分を神だと明言しています。

現代日本に住む私たちは、1世紀初頭ユダヤに生きたイエスと、文化背景も、育った環境も違います。言語感覚やことばの選び方も違います。私たちが福音書を読むとき、容易に読み過ごしてしまう表現の中に、イエスがご自分の神性について語っているのです。実際に、イエスの証言を聞いた、1世紀のユダヤ人たちははっきりと、その内容を理解しました。以下、イエスが語ったいくつかの証言をあげてみました。

イエスは神なのか

以下のイエスの発言をご自分で読んで、検証してみてください。

イエスはアブラハムよりも先にいた

アブラハムとはイスラエル民族の先祖。BC20世紀初頭に生きた人物です。

「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。」そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか。」イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。※4

「わたしはある」という表現は、神の名前です。旧約聖書の出エジプト記3:14で、神はモーセに「わたしは『わたしはある』という者である」とご自分の名前を表しました。イスラエルの先祖、アブラハムが存在する以前から、『わたしはある』という名で存在したと、イエスは語ったのです。イエスは創造以前から天におり、父なる神とともに歴史を導いてきた神です。この神であるキリストが今から約2000年前、人となって、この地上に来たのです。

イエスを見る者は神を見る

イエスは大きな声でこう言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わされた方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中にとどまることのないようにするためです。」※5

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」ピリポはイエスに言った。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『父を見せてください』と言うのですか。※6

イエスを見る人は、イエスを遣わした父なる神を見ます。神であるイエスが人となって、この地上に来ました。それはイエスがご自身の姿をもって、神がどのような方かを示すためです。イエスの姿を見ることで、父なる神を見ることになります。イエスはこの地上で、100%神であり、100%人でした。

イエスには罪をゆるす権威がある

「…しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために…。」そう言って、それから中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。すると彼は起き上がり、家に帰った。群衆はそれを見て恐ろしくなり、このような権威を人にお与えになった神をあがめた。※7

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。そこで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」※8

聖書は、罪をゆるすことができるのは神だけだと明言しています。神が人となって来たイエスは、罪をゆるす権威を持っていました。イエスを神(「わたしはある」という方)だと信じる人は、罪がゆるしを受けることができるのです。

イエスは裁き主、永遠のいのちを与える方

「父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。それは、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。」※9

イエスは神を「父」と呼びました。ユダヤ人にとって、神を親しく「父」と呼ぶことは、冒瀆でした。イエスはご自分を「子」と語り、永遠のいのちを与える権威があることを語りました。

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」※10

「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」※11

「わたしは父のみこころは、子を見て信じるものがみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」※12

イエスはご自分を信じる人に、永遠のいのちが与えます。イエスが死から復活したように、イエスを信じる人々も、終わりの日に死からよみがえり、神が統治する天国へと導かれるのです。

イエスは神と同じ存在

「わたしと父は一つです。」ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、再び石を取り上げた。イエスは彼らに答えられた。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか。」ユダヤ人はイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざのためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神としているからだ。」※13

イエスは神と「一つ」だと語りました。すなわちイエスは自分を神だと明言したのです。当時のユダヤ教の指導者たちも、イエスの発言の意図を理解しました。彼らはこのイエスの発言を冒瀆だと考えて、石打ちにして、処刑しようとしました。

イエスは神なのか?それが私たちとどのような関係があるのか?

イエスは自分を神だと明言しました。イエスは同時に、ご自分がどのような神かも語っています。イエスが、信じる者とどのような関係を持とうとしているのかを見ていきましょう。

いのちのパン

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」※14

「わたしがいのちのパンです。」このイエスの発言は、原語のギリシャ語では「わたしが(主語)」「ある(Be動詞)」の後に「いのちのパン」がつながる構造です。「わたしがある」とは、出エジプト3:14で示した神の名前です。イエスは自分が神だと宣言し、その神が「いのちのパン」という性質を持つことを語ったのです。「いのちのパン」であるイエスを信じる人は、心が満たされます。心が飢え、渇くとは、イエスのもとに来るように語っています。

道、真理、いのち

イエスは彼に言われた。「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」※15

「わたしはある」という神の名称の後に、イエスは神に通じる唯一の「道」「真理」「いのち」だと語っています。

世の光

「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」※16

ここでも「わたしがある」という神の名称の後に、「世の光」というイエスの特徴を語っています。「世の光」であるイエスに従うとき、闇の中でも、光を見出し、行くべき道がわかるようになるのです。

真理

「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」※17

イエスのことばにとどまる人が、イエスの弟子です。イエスのことばに真理があります。イエスが語る真理を知るとき、思い煩いや心配から自由になります。

豊かないのちを与える

「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。…わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」※18

「羊」とはイエスを信じる人たちのことです。羊たちは自分の羊飼いの声を聞き分けます。同じようにイエスを信じる人々は祈り、聖書を読むときに、イエスが語りかける声を聞き分けます。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」※19

イエスのことばを注意深く聞き、それに従う人は、イエスを愛する人です。イエスを愛する人たちを、神も、イエス自身も愛します。イエスのことばに従う人の人生を、イエスは一緒に歩みます。イエスのことばが人生で実際に起こることを体験するのです。

いつもともにいる

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」※20

イエスを信じる人と、イエスはいつも一緒にいます。人生の苦難や悲しみを通るときも、一人ではありません。イエスはその重荷、問題を担ってくれます。

イエスが神であるかについては「見えない信仰の向こうに」をご覧ください。
https://www.studentinjapan.com/a/jes7.html

 イエス・キリストとの個人的な関係を持つには
 質問や意見があります

脚注: (1) コロサイ1:15 (2) ヨハネ1:2 (3) 1ペテロ3:15 (4) ヨハネ8:56-58 (5) ヨハネ12:44-46 (6) ヨハネ14:6-9 (7) マタイ9:6-8 (8) ヨハネ8:23,24 (9) ヨハネ5:21-23 (10) ヨハネ11:25 (11) ヨハネ10:27,28 (12) ヨハネ6:40 (13) ヨハネ10:30-33 (14) ヨハネ6:35 (15) ヨハネ14:6 (16) ヨハネ8:12 (17) ヨハネ8:31,32 (18) ヨハネ10:10,27,28 (19) ヨハネ14:21 (20) マタイ28:20


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