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スタンフォード大学で体験した最大の試練

ヘザー・ウィリアムス

-私はスタンフォード大学の学生です。スタンフォードって言うと、みんな、西のハーバードとか、北のディズニーランドなんていう人がいるけど、確かに、毎年何百人ものリーダーを世界中に送り出しているところなんです。キャンパス内にもそんな雰囲気がいっぱいで、みんな、自分たちがこの社会を住みやすいところに変えることができるって信じているんです。「世界を変えるのは君だ。」「パワーはあなたの中にある。」これがここ、スタンフォードのモットーで、私たちは、いつもこの言葉を頭の片隅に置きながら生活しているんです。
ここではモラルとか、弱さとかは受け入れがたい概念で、まして、魂の救いなんて、自分自身の敗北を認めるのと同じことになるんです。

スタンフォードに入学したとき、私の中には、きっと何か大きなことができるという自信に満ち溢れていました。政治がらみのミーティングに参加したり、人種差別、社会公正等の授業を取ったり、そのうえコミュニティーセンターでボランティア活動に明け暮れるような毎日でした。私にはこの社会を変える力があると心から信じていたんです。貧しい家庭の子供たちを教えたり、ホームレスの人たちの面倒を見たり、食料品を集めて食べるもののない人たちに施したりもしました。でもおかしなことに、社会を変えようと頑張れば頑張るほど、自分自身の中にフラストレーションを感じるようになってきたんです。ついには、官僚社会について、無関心無感動な社会について、さらには「罪」という問題についても考えさせられるようになってきました。

こんな頃ある友人が聖書を読むことを勧めてくれました。実を言うと、大学に入学した頃は、聖書が大嫌いでした。私の中には、聖書ってとかく難しくて、偏見に満ちた、宗教的な本だっていうイメージがあったんです。私はバイブルベルトで育ったので、それまでたくさんのクリスチャンと呼ばれる人達に出会ってききました。でもみんなただ説教じみた話をするだけで、誰一人聖書の中に一体何が書かれているのかを説明してくれる人はいなかったんです。でもこの大学の友達が私の聖書の知識(小さい頃教会学校で教わったことや、学校の授業でちょこっとだけ習ったこと)についてたずねたとき,私がいかにイエス様について、またイエス様に従っていった人たちについて無知だったかを思い知らされたんです。

そこである夜、聖書を読んでみることにしました。たまたま開いた箇所はルカによる福音書というところでした。そこには、ある罪深い女性についての話が書かれていました。その女性は、イエス様がある人の家にいることを聞いて、そこに行ってイエス様の足元で泣いて悔い改めたという話でした。この話を読んだとき、私は、この女性が求めていたのは何にもまして、赦されることだったんだということに気づいたんです。疲れ果てた心に、イエス様の言葉をいただきたかったんだと思いました。それまでいろんな本を読んできたけど、このときほど、この女性が自分自身のように思えたことはありませんでした。この女性のように私も弱り果て、疲れていたんです。慈善活動に明け暮れ、自分の力に信頼し、何でもできるスーパーウーマンになりきろうとしてもうくたくたに疲れ果てていたんです。その瞬間、もうこらえることができず、涙ながらにこう叫びました。「イエス様、もしあなたが今も変わらず生きておられるならどうか私を助けてください。」イエス様が二千年前にこの女性に語られた言葉がそのとき私の心に届いたんです。「あなたの罪は赦された。」

その夜、今まで積もり積もっていたフラストレーションが言いようもない静けさの中に包まれていくのを感じました。そのとき、本当の人生を生きる力を見つけることができたんです。以前、教会学校で習った歌の意味が初めて理解できました。「私たちは弱くとも、主は力強いかた」。自分の罪深さ、また弱さを認めたとき謙遜になることができました。本当に意義深い人生を歩むためには、真実の愛であるイエス様との個人的な関係を持つ必要があることを学んだんです。

そのときから毎日聖書を読むようになり、またほかのクリスチャンたちとの交わりを持つようになりました。そしてこのイエス様という方について様々なことを知ることができるようになったんです。周りの友達や、当時付き合っていたボーイフレンドは、私が変な宗教に走り出したと思うようになりました。インテリで無神論者だった私が急に敬虔なクリスチャンに変わったことが、みんなにはとても理解できなかったんです。私がこの罪というものから解放されたという概念が彼らには全く理解できませんでした。ある友達はこう言いました。「何であなたみたいなインテリが「罪」とか「赦し」とか言うものを信じるの?」。でも私には、罪、また罪の赦しなくして生きることなんてもう到底考えることができないことなんです。

今はもう人間が自分の力で完全な社会を作り上げることができるなんて考えていません。私たちはみな弱さを持っていて、プライドや、わがまま、愛の欠如からいろいろな問題を引き起こし、ついには互いに傷つけあったりするのです。私たちに必要なのは、教育でも、政府でもなく、救いなんです。私たちは自分の力ではこの罪の問題を解決することはできません。私たちには神様の救い、助け、いやしが必要なのです。

今でも様々な社会活動に奉仕していますが、今の私は以前の私ではありません。ここで私が経験したことは、一人の女性として、また活動家としてとてつもないインパクトを与えてくれました。一番大きく変えられたことは、どんなときにも自分自身ではなく、私を根本からつくりかえ、日々力を与えてくださるイエス様に信頼して歩んでいるということです。今でもこの社会を変えたいという信念は変わっていません。ただそれは一人一人の魂をキリストに導くことによってのみ可能だということを知ったのです。

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