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悲劇の中に神はいるのか?

「神はどこにいるのか?」と悲劇的な出来事のただ中で、考えたことはありませんか?

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マリリン・アダムソン

毎日のニュースを見ると、自然災害、伝染病の感染拡大、飢餓やテロの脅威、失業問題、児童虐待に、凶悪犯罪と悲劇的な出来事が、世界のどこかで起こっています。明日このような悲劇が、私たちの人生にも襲うかもしれません。この世界で私たちは、神の助けをどれほど期待できるでしょうか。平穏なときも、危機に直面しているときも、神に信頼できますか。

神とはどのような方か?

神が宇宙全体を創造しました。この創造主である神は、私たちが神の存在を信じることを期待しています。私たちが神に信頼するとき、神の強さや愛、正義や聖さ、あわれみを体験するのです。「わたしのところへ来なさい。」神はこう私たちに呼びかけています。

明日何が起こるのか、私たちにはわかりません。しかし神はご存じです。来週、来年、また10年先に何が起こるかも、神はご存じです。神はこう語ります。「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにいない。わたしのような神はいない。」※1

さらに神は、あなたの人生に何が起こるのかも知っています。あなたが望むのなら、すべてを知る神があなたとともに人生を歩んでくださるのです。神はこう語ります。「神は、われらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。」※2

ただ私たちは、この神を誠実な心で求める必要があります。神は語ります。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」※3

困難なとき、神はどこにいるのか?

しかしイエスを信じたからといって、困難を避けることはできません。イエスを信じる人も、感染症に感染します。戦争にも巻き込まれます。ではイエスを信じる人と、信じない人の違いは何でしょう。イエスを信じる人には、神がともにいるということです。イエスを信じる人には、神は困難の中で、平安と力を与えます。

パウロは自らの経験からこう語ります。「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」※4

事実、私たちの人生も、さまざまな問題に直面します。イエスを信じる人には、困難の中でも、神からの「新しい視点」が与えられます。自分では考えてもみないような「神の新たな視点」で、困難に対処できます。神にとって、克服できない問題は一つもありません。問題よりも偉大な神が、イエスを信じる人とともにいます。私たちを一人置き去りされ、一人で問題解決に取り組む必要はないのです。

聖書はこう語ります。「主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。」※5

「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに、主は近くあられる。また、主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われます。」※6

イエスはこう語ります。「二羽の雀は一アサリオン(ローマ帝国の銅貨)で売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。」※7

もしあなたがイエスを信じるなら、神はあなたの面倒をみてくれます。神は、人知を超えた方法で、私たちを助けてくれるのです。

神と人の「自由意志」

神は人間に「自由意志」を与えました。神は「自由意志」を持つ人間に、イエスを信じるようと強要することはありません。私たちには、神を拒絶する自由があります。同時に、悪を行なう自由も与えられているのです。

神ならば、人に愛するように強要することもできたはずです。良い人間になるようになるように、強制することもできました。しかし神が人に強要するならば、神と人との関係は変わります。もはや「信頼関係」ではなくなります。無理強いや力づくでやらせる「支配関係」に変わるのです。神はむしろ、人間を尊厳ある存在として、人の「自由意志」を尊重します。

例えば、家庭で起こる児童虐待について考えてみましょう。無防備な子どもの命を救うため、近隣住民、保育園や学校、医療機関、警察や児童相談所の連携が不可欠です。しかし皆が注意していても、悲劇が繰り返されます。

神はなぜ、児童虐待から子どもたちを救出しないのか…。神は何をしていたのか…。世論の怒りの矛先は当事者、関係者、最終的には神にまで及びます。仮に神が介入して、児童虐待を防いだとします。すると、そこには人の「自由意志」がなくなります。神を無視し、反抗することも人の「自由意志」による選択です。自分勝手に行動し、人に危害を加えることも、人の選択です。

すると、この地上はもはや、安全な場所ではなくなります。ある日突然、凶悪犯罪に巻き込まれるかもしれません。交通事故に遭うかもしれません。テロ攻撃の標的になることもあります。地震で家の下敷きになることも、津波や火災に巻き込まれる可能性だってあるのです。この地上では、いつ何が起こるのかわかりません。この世界では、必ずしもすべてに神の意志が反映されるわけではないのです。

神は人に振り回されているのか?

ここで、私たちは疑問に思います。「神さま、どうしてこのような悲惨な出来事が起こるのでしょう。」神には、人の悪い行動を制限することができないのでしょうか。

神はただ、人間の自分勝手な「自由意志」で振り回されるわけではありません。むしろその反対です。神は人の「自由意志」を尊重しつつも、ご自分の計画を実行します。

私たちは、神のあわれみの中にいます。この神が、夜空の無数の星を創造しました。神のことばでこの宇宙全体を創造したのです。「神は仰せられた。『光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。』」※8 「神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。」※9

神は、無限の力と知恵とに満ちています。私たちには今、直面する問題が自分ではどうしようもないほど、大きすぎるように感じることがあります。しかし私たちには、想像もできないほど大きな力を持つ、神がともにいます。「見よ。わたしはすべての肉なる者の神、主である。わたしにとって不可能なことが一つでもあろうか。」※10

神は、罪深い人間の「自由意志」を尊重しつつも、ご自分が望むことを成し遂げます。神ははっきりとこう語ります。「わたしは語って、…計画を立てて、それを実行する。」※11

私たちがイエスを信じるとき、神は慰めを与えてくれます。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」※12 しかし私たちは、神の介入を拒みます。

人が神を拒むとき、神は何をしているのか?

私たちは人と比べて、自分は善良で、配慮があり、愛ある人間だと思うかもしれません。しかし正直に神と向き合うとき、「罪」の意識が生じるはずです。

私たちには、神が自分の自己中心な行動や考えを知っているという、認識があります。だから神に祈ることをためらうのです。神からも距離を置きます。私たちは、神なしでも上手く生きてきたという自負もあります。

聖書は語ります。「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。」※13

結果、どうなったのでしょうか。罪が私たちを神から引き離しました。罪は、今の人生を越えて、影響を与えます。「罪の報酬は死です。」罪の結果、私たちは神から永遠に引き離されてしまったのです。しかし神は私たちの罪をゆるし、神を知る道を備えました。

神はあなたを愛しています

神のひとり子であるイエスは、私たちを罪から救い出すために、この地上に来ました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」※14

神は、この世界で私たちが経験する痛みや苦しみをご存じです。イエスは天国から、この地上の過酷な環境に来てくれました。

この地上で、イエスも疲れを感じることもありました。空腹や喉の渇きも覚えました。人々の批判も受けました。家族や友人から除け者にされました。イエスは、日常の苦しみ以上の苦難を体験しました。

神の子イエスが人となり、私たちすべての罪を背負い、身代わりに死の刑罰を受けたのです。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。」※16

イエスは拷問を受けました。十字架につけられ、長時間をかけて徐々に呼吸不全に陥り、死にました。イエスの十字架の死は、私たちが罪をゆるされるためでした。

イエスは前もって、ご自分が十字架で死刑になることを人々に伝えました。イエスはまた、死んで3日目によみがえることを語ります。イエスの死からの復活は、イエスが神であると証明します。

実際、遺体が埋葬されて3日目、イエスのからだはよみがえりました。イエスの墓は空になっていたのです。多くの人々が、復活したイエスに出会いました。

あなたは天国に招かれています。

イエスは私たちに永遠のいのちを与えます。永遠のいのちは、自分の努力で勝ち取るものではありません。イエスを信じるときに贈られる、神からの贈り物です。「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」※16

私たちが自分の罪を認め、神の方に方向転換するとき、永遠のいのちの「贈り物」を受け取ることができます。「その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子(イエス)のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」※17 イエスは、私たちの人生をともに歩みたいと願っています。

天国についてはどうでしょう。聖書はこう語ります。「神はまた、人の心に永遠(を思う心)を与えられた。」※18

私たちには生まれつき、おぼろげながらも天国についての認識を持っています。愛する人の死に直面するとき、この世での人生の大変さを思い起こします。心の深い部分で、悲痛な困難から解放された、天国の存在を私たちは自然と考えます。

確かに、神は私たちに天国を用意しています。天国は、神の意志がいつも実現する、この地上とまったく違う世界です。天国は「神が彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない」※19 世界です。神が人々の中に住み、私たちはもはや罪を犯すことはありません。※20

自然災害やテロ攻撃、伝染病それ自体は、とても恐ろしいものです。しかしイエスとともに生きる永遠のいのちを拒絶することほど、恐ろしいことはありません。イエスとともに生きる「関係」が、人生最高の贈り物です。

神が人生の目的です。神が慰めの源。神こそが混乱の中での知恵であり、力、希望です。「味わい。見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを。幸いなことよ。主に身を避ける人は。」※20

ある人が、神を人生の支える「松葉杖」と語りました。神だけがこの世界でただひとり、信頼できるシェルターです。

イエスは語ります。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がしてはなりません。ひるんではなりません。」※22

イエスに信頼する人は、人生を堅固な岩の上に建てた人のようです。どんな危機が襲っても、イエスがあなたを強め、守ってくれます。

神はどこか?あなたとともにいる神

あなたも今、イエスを信じることができます。「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」※23

イエスによって、私たちは神のもとに帰ることができます。イエスはこう語ります。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」※24

またイエスはこうも語ります。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」※20

今、神にあなたの人生をともに歩んでくれるように祈りましょう。祈りによって、イエスを信じる信仰を表明できます。祈りとは、神に正直に話すことです。今、一緒に神に祈りましょう。

「神さま、私はあなたから顔をそむけてきました。しかし、その態度を変えます。今、あなたを知りたいのです。イエス・キリストを信じます。イエスさまが十字架で与えた、罪のゆるしを受け取ります。あなたと生涯、人生をともに歩みます。今日から、あなたが私の神となってください。神さま、ありがとうございます。」

今、心から祈りましたか?もし祈ったのなら、今この瞬間、神は多くのことをしてくれました。神を知っていく過程で、あなたの人生はさらに満ち溢れたものになります※26。

神はどこにいるのでしょうか。神はあなたとともにいます※27。 そして神は、あなたに永遠のいのちを与えています※28。

あなたの周囲で何が起ころうと、神はあなたとともにいます。たとえ周りの人々が神に従わなくても、神はご自身の計画を行います。究極的にこの世界は、神の御手の中にあります。あなたは神の子どもです。この聖書の約束のもとに安らぐことができるのです。

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」※29

イエスはこう語っています。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がしてはなりません。ひるんではなりません。…世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」※30 

イエスはこうも約束しています。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」※31 たとえ悲劇的な出来事があなたの周りで起こっても、イエスはあなたとともにいます。この聖書の約束を握り続けてください。

悲劇的な出来事の中で平安を持つ方法は、「不穏な世界で持つ平安」をご覧ください。

天国がどのようなところかについては、「天国は本当にあるのか?」をご覧ください。

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脚注: (1) イザヤ46:9 (2) 詩篇46:1 (3) エレミヤ29:13 (4) 2コリント4:8-9 (5) ナホム1:7 (6) 詩篇145:18-19 (7) マタイ10:29-31 (8) 創世記1:14 (9) 詩篇47:8 (10) エレミヤ32:27 (11) イザヤ46:11 (12) ヤコブ4:6 (13) イザヤ53:6 (14) ヨハネ3:16-17 (15) 1ヨハネ3:16 (16) ローマ6:23 (17) 1ヨハネ5:12 (18) 伝道者3:11 (19) 黙示録21:4 (20) 黙示録21:27; 1コリント15:28 (21) 詩篇34:8 (22) ヨハネ14:27 (23) ヨハネ1:12 (24) ヨハネ14:6 (25) 黙示録3:20 (26) ヨハネ10:10 (27) ヨハネ14:23 (28) 1ヨハネ5:11-13 (29) ローマ8:28 (30) ヨハネ14:27; 16:33 (31) ヘブル13:5

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