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悲しい事件の中にあって神はいったいどこにいるのでしょうか?

恐れや惨事、災害や悲しい事件の中で私たちはどこから内面的なささえを見つけることができるでしょうか?神にいったい何を期待したらいいのでしょうか?

私たちは、神が一緒にいてくれることについて、どの程度信頼することが出来るでしょうか?神は私たちが平穏な時も危機に直面しているときも、本当に頼れる方なのでしょうか?

悲劇、災害、悲しみ:神はどこにいるのでしょうか?

神は存在するすべてのものを創造し、私たちに知られることを深く望んでいます。私たちはそのためにここにいるのです。神は私たちが神に頼り、神の強さ、愛、正義、清さ、思いやりを経験することを望んでいます。望んでいるすべての人に神は「私のところへ来なさい。」と言っています。

私たちと違い、神は明日起こること、来週、来年、また次の10年間の間に起こることを知っています。神は「私が神であり、初めから終わりを告げることができる私のような神は他にはいない。」(イザヤ書46:9)と言っています。神は将来この世で何が起こるのかを知っています。もっと重要なのは、神はあなたの人生に何が起こるのかを知っていて、もしあなたが自分の人生に神を受け入れるなら、そこに一緒にいてくださると言うのです。神は「私たちの避け所で力である。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)である、と言っています。しかし、私たちは真剣に神を求めなければなりません。「もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(エレミヤ書29:13)と神は言っているのです。

-しかし、それは神を知るものが辛い問題から逃れることができるという意味ではありません。彼らはそれを避けて通ることはできません。テロリストの攻撃が苦しみと死をもたらすとき、神を知るものもその被害に巻き込まれるでしょう。しかし、神が与えてくれる平安と力があります。イエス・キリストに従うある人がこのように言いました。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(第二コリント人への手紙4:8-9)現実は私たちが人生において色々な問題を経験することを私たちに教えてくれます。しかし、神を知ったうえでその問題を乗り越えると、問題に対して別の視点から見ることができ、自分のものでない力でそれを対処することができるようになります。神にとって克服できない問題は一つもありません。神は私たちに降りかかるどのような問題よりも偉大な方で、私たちにそれを一人で解決するようには言いません。

神の言葉は、「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。」(ナホム書1:7)と言っています。また、「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。」(詩篇145:18-19)ともあります。

イエス・キリストは彼に従う者をこのように励ましました。「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイの福音書10:29-31)もし、あなたが心から神に立ち返るなら神は他の誰もすることが出来ない方法であなたの事を支えてくれます。

悲劇、災害、悲しみ:私たちの自由意志

神は選択能力を持つものとして人間を創造しました。これは私たちが神との関わりを持つことを強いられているのではない事を意味します。神は私たちが神を拒絶することも、悪を行なうことも許します。神は私たちに愛に満ちたものとなるように強制することもできます。また、良いものになるよう強いることもできます。でもそれをするなら私たちは神とどのような関係を持つことになるのでしょうか?それは関わり合いではなく無理やり力ずくでさせられた完全に支配された関係となるでしょう。代わりに、神は私たちに自由意志という人間の価値をくれました。

私たちは魂の深いところから自然に「神様、どうしてこのような大きなことが起こるのを許されたのですか?」と叫びます。

私たちは神にどのようにしてほしいのでしょうか?神に人間の行動を支配してほしいのでしょうか?例えば、テロリストの攻撃に関して言えば、神が許される死亡者数は何人なら受け入れられるのでしょうか?神が100人単位の殺人を許したら、受け入れられるのでしょうか?それとも1人の犠牲だけで済んだ方が受け入れられるのでしょうか?しかし、もし神が1人の犠牲さえも引き止めたとしたら、そこにはもはや私たちの自由意志は存在しません。

悲劇、災害、悲しみ:この世

この世は安全な場所ではありません。ある人が銃で私たちを撃ってくるかも知れません。または車にひかれるかも知れません。あるいは、テロの攻撃にあったビルから飛び降りないといけないことになるかもしれません。神の意志が常に求められない地球という厳しい環境の中では、どのようなことでも起こりえます。

-けれども、神が人間の思いのままになっているのではなく、むしろその反対で、私たちが神の思いのままになっているのです。この神は数えきれない数の星がある宇宙を言葉によって創造して言いました。「光る物よ、天の大空にあれ。」(創世記1:14)この神が「国々を統べ治めておられる。」(詩篇47:8)と仰せられました。神は力と知恵とに満ちています。問題がどんなに乗り越えることができないかのように見えても私たちには非常に力のある神がいて「見よ。わたしは、すべて肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」(エレミヤ書32:27)と言って神の存在を思い出させてくれます。なんらかの方法で神は、罪深い人間の自由意志を守りながら神の望む事を成し遂げています。神ははっきりと「わたしのはかりごとが成り、わたしはわたしのすべての目的を行なう。」(イザヤ書46:11)と言っています。私たちがもし人生を神に明け渡すなら、「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵をお授けになる。」(ヤコブの手紙4:6)という言葉から慰めを受けることができるのです。

悲劇、災害、悲しみ:神は今どこにいるのでしょうか?

私たちの殆どが、時々厳しい神のやり方を選ぶ決断をすることがあります。他の人と比べると特にテロリストと比べると、私たちは自分たちのことを愛情に満ちた人間だと思うかも知れません。しかし、心の正直なところで私たちは、神の前に出るとき、罪の意識でいっぱいになるだろうと思っています。祈りを通して神に話しかけるとき、私たちは神が自分たちの考えや行動、自己中心性に十分気づいていると感じ、ためらうのではないでしょうか?私たちはその生き方や行動によって神から距離を置くことになってしまいました。私たちは神様なしに生きる生き方をしてきました。聖書は言っています。「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」(イザヤ書53:6)

その結果は、どうなったのでしょうか?私たちの罪が私たちを神から引き離し、この人生を越えたものにまで影響を及ぼしました。罪からくる報酬は死であり、言い換えれば神から永遠に引き離されてしまったということです。しかし、神は私たちの罪が許され、神を知る方法を用意してくださいました。

神の愛を通して与えられる内面的な力

神は私たちを助ける為に私たちの所へ来てくれました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネの福音書3:16-17)

神は私たちがこの世で体験する痛みや苦しみをご存じです。イエスは安全で安心できる自分の家を出て、私たちが住んでいる厳しい場所に来てくれました。

イエスは、疲れを感じ、空腹やのどの渇きを覚え、人々からの非難と闘い、家族や友人からのけものにされました。しかし、イエスは、普通の苦難よりもずっと苦しい事を体験しました。人間の姿をとった神の子イエスは、自ら私たちのすべての罪を負い私たちに与えられるはずの死の刑罰を支払ってくださいました。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(第一ヨハネの手紙3:16)イエスは、私たちが許される為に肉体的な苦しみを受け、十字架の上で屈辱的な死を経験しました。

-イエスは、自分が十字架にかけられることを前もって人に知らせました。イエスは、その死の3日後に自分が神であることをはっきりと示す為に甦ると言いました。イエスは、いつか自分は生まれ変わるとは言いませんでした。(たとえそうだったとしても誰がそれを知り得るでしょう?)イエスは、埋葬されて3日後に甦り、生きていることを十字架上での処刑を見た人々に示すと言いました。3日後、イエスの墓は空でたくさんの人々が甦った、生きているイエスを見たと証言しました。

イエスは今、永遠の命を私たちに差し出しています。私たちは、これを自分から努力して得るのではありません。それは神から差し出された贈り物で、私たちが自分の人生にイエスを受け入れるときに与えられます。「神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙6:23)私たちが罪を告白し、神に立ち返るなら、キリストを通して永遠の命の賜物を受けることができます。それはとても簡単にできます。「神が私たちに永遠のいのちを与えられ、このいのちは御子のうちにあります。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(第一ヨハネの手紙5:11-12)イエスは、私たちの人生に受け入れられたいと思っています。

神の計画を通して与えられる内面的な力

天国については、どうでしょうか?聖書は「神は人の心に永遠を(思う心を)与えられた。」(伝道者の書3:11)と言っています。それが意味するところは、私たちが心の中でよりよい世界がどのようなものかを知っているということなのかもしれません。愛する者の死は、この人生とこの世で、何かがとても間違っているということを私たちに確信させます。私たちの魂のどこか深いところで心の悲しみや痛みから解放された、よりよい場所があることを私たちは知っています。確かに神はよりよい場所を私たちに用意してくれています。そこには神の意志が常に成る全く別の世界があるでしょう。その世界では「神が彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(ヨハネの黙示録21:4)そして、神がその霊によって人々の中に住まわれ彼らがもはや罪を犯すことがないようにしてくださいます。

テロリストの攻撃は、それ自体とても恐ろしい出来事です。しかし、神との永遠の関係を拒絶することは、もっと恐ろしいことです。神を知ることは、私たちの人生にとって最高のことです。神が私たちの人生の目的であり、慰めの源であり、混乱したときの私たちの知恵であり、力であり、希望です。「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(詩篇34:8)

ある人は神について、ただの人生の支えだと言っていますが、おそらく、神だけがこの世でただ一人信頼できるお方でしょう。

イエスは言いました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います、あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書14:27)生涯イエスに信頼する人は、人生を岩の上に建てた人のようだと彼は言っています。生涯どんな重大な局面に立たされることがあっても、イエスはあなたがたを強めてくださいます。

神の息子を通して与えられる内面的な力

あなたは今、イエスを自分の人生に迎え入れる事ができます。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1:12)イエスを通して、私たちは神の元に帰ることができます。イエスは言いました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)イエスは「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入る。」(ヨハネの黙示録3:20)

-あなたは今、神にあなたの人生に入ってくれるように願うことができます。祈りを通してそれをすることができます。祈りは神と正直に話すことを意味しています。今、この瞬間、神に素直にこのように叫ぶことができます。「神様、わたしは心の中であなたから顔をそむけてきました。しかし、その態度を変えて、今あなたを知りたいと思っています。イエス・キリストと彼の許しをわたしの人生に受け入れたいと思います。これ以上あなたと離れていたくはありません。この日を境にわたしの人生の神になってください。神様、ありがとうございます。」

たった今、心から神にあなたの人生に入ってもらうように頼みましたか?もし、頼んだのであればあなたにはこれから楽しみにすることがたくさんあります。神はあなたの現在の生活を神を知ることを通して、より満足いくものとすると約束してくださっています。(ヨハネの福音書10:10)神は何処にいますか?神はわたしたちとともに住むと約束しています。(ヨハネの福音書14:23)そして神はあなたに永遠のいのちを与えてくださいます。(第一ヨハネの手紙5:11-13)

あなたの周りで何が起ころうとも、神はあなたのためにそこにいてくださいます。人が神のやり方に従わなかったとしても、神は恐ろしい出来事を選んででも、神の計画を成し遂げる事ができます。神は最終的にこの世の出来事を支配しています。もし、あなたが神のものであるならば、この約束を思い出しそれに頼ることができます。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます。」(ローマ人への手紙8:28)

イエス・キリストは言いました。「わたしは、あなたがたに平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書14:27、16:33)神の約束はわたしたちを裏切ったり見捨てたりはしません。(ヘブル人への手紙13:5)神について、また神があなたの人生に用意している目的をもっと知るには聖書のマタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書を読んでください。

 今イエス・キリストを信じました。(これからの成長に役立つこと)
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