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悪いことはなぜ起こるの?

ステイシー・ジェイムス

-この世に存在する悪について考えるとき、誰しも、「何で神様は悪いことが起こらないようにして下さらないの?」って思ったことが一度くらいはあるんじゃないでしょうか。もし神様が本当に善なる神様で、全てのことがおできになるのだとしたら、なぜ神様は何もせずただ手をこまねいておられるのでしょうか。

このことを考えるに当たってまずはじめに知っておかなければならないことは、悪は神様が生み出されたものではないということなんです。神がこの世界を創造されたとき、全てを良いものとして創造されました。しかし神が人間を創造されたとき選択の自由をも与えられたのです。そして私達が選び取る誤った選択が時として人々を苦しめる悲惨な事態を招き入れる結果となるのです。

私は大学生のときダイビングの事故で半身不随となってしまいました。でも神様は私を懲らしめようとして水の中に投げ入れたということはありません。私はふざけ半分で友達の肩からダイビングを行なったのです。その結果として私は半身不付随となってしまいました。私は自分以外に誰をも責めることはできません。

もちろん神様は私達の人生に介入し、善悪全てをコントロールすることもできます。でももし神様がそうされることを選ぶなら、私達はただのロボットに化してしまいます。そこには自由というものは存在しません。また私達が神様を愛するように強制することも当然できたでしょう。でもそれはもう本当の愛ではなくなってしまうのです。神様は常に選択を与えられるのです。神様を選ぶか選ばないか、正しいことを選ぶか間違ったものを選ぶか、全ての決断を私たちにゆだねられているのです。ですから私達にはあらゆる選択の自由があると同時に、その責任をも委ねられているのです。

でも朗報があります。まず私達は神様が愛の方であると同時に「義」(正しい)なる神様であるということを知らなければなりません。ですからもし誤った選択をするなら必ず誰かが傷つけられることになるし、またその責任をも問われることになるのです。神は最後の審判者です。全ての人はこの神によって、またその行いによって終わりのときに裁きを受けることになるのです。「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。(へブル4:13)

第二に、時として神様は様々な試練をさらに優れた結果のために用いられるということです。様々な試練のゆえに私たちは鍛えられ、練られて、さらに神様に用いられる存在となっていくのです。また多くの試練を通ってきた人たちは同じような境遇にある人たちを助けることができるようになります。私自身も自己中心から哀れみのある人間へと変えられるようになってから、身体に障害のあるほかの学生を助けてあげることができるようになりました。また私達が試練に出くわすとき本当に大切なものが見えるようになります。そしておのずと神様に頼るようになるのではないでしょうか。苦しい境遇に置かれるとき、信仰の大切さについて、また愛について、いたわることの大切さ、家族、友達のありがたさを実感できるようになります。

三番目に、神様は解決の道を用意されているということです。やがて私たちはもはや苦しみを味わう必要がなくなります。天国には、悲しみや、痛み、病気、また死というものは存在しません。私たち神を信じるものは、神様の喜びの中に永遠に住まうことになるのです。

最後に神様はあなたのことを愛していて下さっているということです。神様は何の問題もない人生を約束されたわけではありません。ただ私たちと共にいてくださるということを約束されました。イエス様も苦しんでいる人々に対して、愛、哀れみ、心の痛みをもって接しられました。愛である神様は私たちとの個人的な関係を望んでおられます。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく永遠の命を持つためである。」(ヨハネ3:16)

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